●ジリアン・テット、土方奈美訳「ANTHRO VISION(アンソロ・ビジョン) 人類学的思考で視るビジネスと世界」日本経済新聞出版、2022年
著者のジリアン・テット氏は、ケンブリッジ大学で社会人類学の博士号を取得し、ファイナンシャル・タイムズ紙に入社、現在は「Lexコラム」を担当しているとのことで、異色の経歴の持ち主です。
本書の目的は、「『エキゾチック』な人々の研究という(誤った)イメージを持たれがちなこの学問(『人類学』:筆者注)が、なぜ現代社会に欠かせないものであるかを示すことだ。」(P8)としています。「その理由は、人類学が身のまわりの世界を詳しく見て、ありふれた現実の中に潜んでいる事柄に気づき、他者に共感を抱き、問題に対する新たな洞察を得るための知的フレームワーク(枠組み)だからだ。」(P8)としています。
本書で示されている「アンソロ・ビジョン(人類学的視点)」、あるいは「人類学的マインドセット」には、次の3つの基本思想があげられています。
1つめは「グローバル化の時代には見知らぬ人々に共感し、ダイバーシティ(多様性)を大切にする姿勢を育むことが急務であるという考えだ。」(P10)。
2つめは、「どれだけ『異質な』ものであっても他者の考えに耳を傾けると他者への共感につながるだけでなく(それはそれで今日切実に必要とされていることだが)、『自らの姿もはっきりと見えてくる』ということだ。」(P11)。
3つめは、「この『未知なるものと身近なもの』という概念を理解することで、他者や自らの死角が見えてくるという考えだ。」(P11)。
本書では、「人類学が私たちに与えてくれる教訓のひとつは、『未知なるもの』やカルチャーショックを受け入れるのは自らのためになる、ということだ。そのために発展させてきたのが参与観察(「エスノグラフィー」とも言う)と呼ばれる方法論だ。(略)ビジネスや政策立案の場にも応用でき、グローバル化した世界を生きるすべての投資家、資本家、経営者、政策立案者(あるいは一般市民)が身につけるべき発想だ。」(P22)として、人類学的視点や方法論により解決された問題に関する数々の事例が紹介されていきます。
現代社会を代表する様々なテーマを取り上げて、アンソロ・ビジョン(人類学的視点)に基づいた分析結果が示されています。ネスレの「キットカット」に関する日本での独特な購入に関する事例(P63~P68)を読むと、わが国での出来事であるため、著書がいうアンソロ・ビジョンの重要性やそれに対する対応についても理解しやすいといえるでしょう。
その他、取り上げられたテーマは、私たちの日常生活に密着しているものであるのもかかわらず、その実態については私たちがよく知らない出来事等が多くあります。著者による人類学的観点からの初めての分析ともいえる記事において、様々な出来事の中で起こっていた関係者の考え方、対応の仕方などが明らかにされています。
「『未知なるもの』やカルチャーショックを受け入れるのは自らのためになる」という著者の言葉にあるとおり、数多くの「目からうろこ」の体験をさせてくれた書籍でした。
【目次】
まえがき もうひとつの「AI」、アンソロポロジー・インテリジェンス
第一部 「未知なるもの」を身近なものへ
第一章 カルチャーショック - そもそも人類学とは何か
第二章 カーゴカルト - インテルとネスレの異文化体験
第三章 感染症 - なぜ医学ではパンデミックを止められないのか
第二部 「身近なもの」を未知なるものへ
第四章 金融危機 - なぜ投資銀行はリスクを読み誤ったのか
第五章 企業内対立 - なぜゼネラル・モーターズの社内会議は紛糾したのか
第六章 おかしな西洋人 - なぜドッグフードや保育園にお金を払うのか
第三部 社会的沈黙に耳を澄ます
第七章 「BIGLY」 - トランプとティーンエイジャーについて私たちが見落としていたこと
第八章 ケンブリッジ・アナリティカ - なぜ経済学者はサイバー空間に弱いのか
第九章 リモートワーク - なぜオフィスが必要なのか
第十章 モラルマネー - サステナビリティ運動が盛り上がる本当の理由
結び アマゾンからAmazonへ - 誰もが人類学者の視点を身につけたら
あとがき 人類学者への手紙
●トーマス・セドラチェク、村井章子訳「善と悪の経済学 ギルガメシュ叙事詩、アニマルスピリット、ウォール街占拠」東洋経済新報社、2015
著者のトーマス・セドラチェク氏は、チェコ共和国の経済学者で、同国が運営する最大の商業銀行の1つであるCSOBで、マクロ経済担当のチーフストラテジストを務めているとのことです。
大部の書籍です。本文485ページ、索引・文献・注91ページから成ります。
大部なのには理由があります。「本書の目的は、経済学の物語を紡ぐことにある。」(P10)とし、経済学についての本質的な問い、「善悪の経済学は存在するか。善は報われるのか、それとも経済計算の外に存在するのか。利己心は人間に生来備わったものか。公益に資するなら利己心を正当化できるか。」(P9)に答えていこうとするものだからです。
また、著者の理論経済学の研究と教育、経済顧問としての経済政策の実践についての助言、そして主要経済紙のコラムニスト、という「三つの職業から得た三つの問い(経済学の意義は何か、どのように応用できるか、他の分野とどのように理解可能な形で結びつけられるか)」(P22)に対する著者なりの答えである、と記されています。
人類初の文学作品とされる四千年以上も前の「ギルガメシュ叙事詩」には「西洋文明における最初の経済的思考が認められる」(P27)とし、「市場と見えざる手の概念の萌芽も、天然資源と労力の効率的活用も、(一部略)感情、進歩、自然状態、(一部略)分業をめぐる悩み」(P27)などがあげられるといいます。
旧約聖書に書かれた内容の分析から、「市場経済民主主義思想にユダヤ思想が与えた影響は、どれほど評価してもし過ぎることはない。」(P127)とされるほか、「進歩の概念」(P65)、「景気循環の最初の記述」(P87)、善悪と効用の関係、安息日の定め、貨幣の概念、債務等が生じてきたといいます。
古代ギリシャでは、経済学者クセノポン(P141)、エピクロス派とストア派の間での効用や善の相対化等での見解の相違、エピクロス派を源流とする功利主義的な経済哲学(P183)などに言及され、キリスト教では「経済が旧約聖書・新約聖書にじつにひんぱんに登場する」(P236)と驚きをもって記載しています。
「デカルトが科学の揺るぎない新しい基礎を築こうと苦闘したのは、科学的知識を統合し、万人にとって自明かつ議論の余地のないものとするためだった。」(P254)が「いまだ疑いに満ちている。」(P255)とされています。
「現在知られている形での市場の見えざる手を思いついたのは実際にはマンデヴィルであって」(P258)、経済学の倫理性に重大な影響を及ぼしたとのことです。経済学の父とされるスミスについては、「国富論」だけでなく倫理の問題を扱った「道徳感情論」を含めて評価する必要性を指摘しています。(P300)
第2部では7つのテーマについて、検討されてます。
強欲の必要性では、「消費中毒」(P310)、「債務の時代」(P322)における消費「食べつつ食べずに済ます」(P323)という方法(無脂肪のクリーム、バターを含まないバター等)をどう考えるかが問われます。
進歩について、「所得と幸福度の相関は『驚くほど弱い』」(P340)、消費に関して幸福になる道は、(一部略)、一つは、永久に消費し続けること。(一部略)もう一つは、すでに十分持っていると気づくことだ。」(P342)としています。その他のことを考慮したうえで、経済政策の目標を見直すことの必要性も指摘されています。(P354)
善悪軸に基づき経済学を分類してみると、無私の善を求めたイマヌエル・カントに始まり、ストア派、キリスト教、ヘブライ思想、功利主義、エピクロス派、主流派経済学、マンデヴィルの順に並ぶとして整理されます。(P357-P364)
見えざる手は、神学や政治学にもあり、「見えざる手は経済学だけ、経済だけのものではない。」(P373)とし、社会ダーウィン主義(注:ダーウィンよりスペンサーが適者生存について早い時期に書いていたとされている。)や利己主義の問題がとりあげられます。
アニマルスピリットは「ある意味でホモ・エコノミクスの対立概念である」(P390)ことから、これに「注目すれば、主流派経済学がよりどころとする厳密な合理的・機械的モデルへの依存がいかに偏っていて誤解を招きやすいかを理解しやすい。」(P390)としています。
メタ数学では、「経済思想は、決定論、デカルトの機械論、数学的合理主義、単純化された個人主義的功利主義の影響を受けるようになる。(一部略)こうした影響を受けて、経済学は今日の教科書に示される姿に変化した。具体的には、式やグラフや図表や数字、つまり数学にどっぷり浸った経済学である。」(P406)ようになった経緯と問題点等を指摘しています。
真理の探究において、「真理は必ずしも分析可能ではない。(一部略)だから、科学的な分析方法を使って真理を知ろうなどという望みは捨てなければならない。」(P428)と経済学への警鐘を鳴らします。また、経済学と物理学の方法論の根本的なちがいとして「仮定のロジック」(P434)を取り上げています。物理学では仮定は「建設作業に活用される」(P434)が、「実際の応用に当たっては、単純化された仮定は忘れて現実に戻る必要がある。」(P434)いっぽう、「経済学の場合には、仮定を撤去することができない。(一部略)経済モデルの大前提であるホモ・エコノミクスという概念を捨てなければならないとなったら、主流派経済学はどうなるだろうか。」(P435)という主流派経済学への本質的な批判もなされています。
終章では、「市場経済が機能するかどうかということは、ほんとうの問題ではない。ほんとうに問題なのは、それが望みどおりに機能するのか、ということだ。」(P464)、「そもそも私たちは、見えざる手にどんなふうに働いてほしいのだろうか。」(P464)と問いかけます。経済学における最大の難問である「値段のつけられない価値」(P467)の問題、私たちの直面している「資本主義の危機ではなく、成長資本主義の危機」(P474)や「先進国の政府債務」(P475)等の課題解決に向けて経済学そのもののあり方への問題提起がなされています。
本書は、人類の歴史を通じた経済的活動、経済思想、経済的手法等の分析を通じ、現在の主流派経済学に対する批判の書です。私たちの生活において経済が及ぼす影響は極めて大きくなっています。このような時代において有効な処方箋を提示できる経済学の再構築が期待されます。
【目次】
序章 経済学の物語 - 詩から学問へ
第1部 古代から近代へ
第1章 ギルガメシュ叙事詩
第2章 旧約聖書
第3章 古代ギリシャ
第4章 キリスト教
第5章 デカルトと機械論
第6章 バーナード・マンデヴィル - 蜂の悪徳
第7章 アダム・スミス - 経済学の父
第2部 無礼な思想
第8章 強欲の必要性 - 欲望の歴史
第9章 進歩、ニューアダム、安息日の経済学
第10章 善悪軸と経済のバイブル
第11章 市場の見えざる手とホモ・エコノミクスの歴史
第12章 アニマルスピリットの歴史
第13章 メタ数学
第14章 真理の探究 - 科学、神話、信仰
終章 ここに龍あり
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